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伝統的技法で制作している日本古来の着せ替え人形。市松人形などを紹介。

市松人形の話し

世界中でお人形の存在しない国はあるのでしょうか?

‐由 来‐

お人形は、人々の暮らしに居なくてはならない存在のようです。市松人形

日本人にとってのお人形は、無病息災・五穀豊穣などを願うために始まったそうです。土で作られた「埴輪」のように亡くなられた方をお守りする役目や木や布で作られた「天児」などのように誕生した子のそばで流行病などの災いを代わりに受ける役目など、身代わりとしての意味を持ち古くから存在しています。

「にんぎょう」と呼ばれるようになったのは、平安時代(794〜1180年)末期だそうです。それ以前は「ひとがた」と呼ばれていました。

日本文化の進歩と共に、様々な姿・素材・存在意味が生まれてきます。遊びの要素を持った「抱き人形」の始まりは、室町時代(1336〜1573年)から公家の子女の遊びに登場したと伝えられています。

その「抱き人形」は江戸時代(1603〜1867年)中期に活躍した人気歌舞伎役者「佐野川市松(1722〜1762年)」の存在をきっかけに一般庶民へと広がり、その頃作り手の技術も大きく進歩したそうです。 そして日本の生活習慣ならではの正座ができる三つ折れ人形や幼児を模ったおさな人形や這い子人形 なども作られてきています。 市松人形の名は、その歌舞伎役者の名に由来していると言われていますが、諸説あり明確化されていない現状です。

「市松」で知られているお人形の呼び名は各地域により様々にあったようです。現在では、「市松( いちまつ 又は いちま)」という呼び名が全国で通じる名となりましたが、関東では「やまと人形」「泣き子」とも呼ばれていた時期もあります。今でも関東の人形師同士の会話では「いちまつ」とは言わずに「なき」と言うことが多々あります。

昨今の市松人形は、様々な素材・手法が考案されて目的も多様化したために、統一した定義を表現し難くなりました。観賞用として「動かせない。着せ替えできない。」子たちもたくさん存在していますが、それも日本人の暮らしと共に永い年月を存在してきているお人形の姿なのだとも言えます。

元来は、ひとりひとりの表情が豊かで胴・腰があり衣装が着せ替えられ、「抱き人形」として人々に愛され温もりを感じられる姿が大切な特徴だと思っています。

抱き人形藤村紫雲の作る人形の種類は、市松人形を主に、幼子や這い子など子供を模った人形を制作しています。

桐木・桐塑(とうそ)を基礎として胡粉(ごふん)と膠(にかわ)を溶いて塗り重ね、彫刻・面相をして、髪には人毛や絹糸を使用する伝統的な材料・手法により制作しています。胡粉を十数回丁寧に塗り重ねることにより、時と共に変化する独特の風合いをお楽しみいただけます。

 着物は、正絹小紋柄布や今に見ない風合いを持った古代布などを人形用に仕立て、一本の帯を結び、着せ付けをする着せ替えが楽しめる人形です。

手作りから生まれる人形の顔は、それぞれの表情を持っています。

現在、このような伝統的材料や手法で市松人形作りを生業としている人形師は、日本全国で10人程になってしまいました。観賞するだけではない、抱いた時に温もりを感じ「私の子」として可愛がられる事を願い、魅力あるお人形作りに日々努力をしています。

「愛する人のそばに居たい」 やさしい思いを人形に託しました。

‐習 慣‐

花嫁の親は・・・

「辛い事や悲しい事があっても、お人形さんに聞いてもらい頑張りなさい。」と娘の幸せを願い、終生の友として持たせました。

生まれてきた子に・・・

「お人形さんのような可愛い子でありますように。」と願いをこめ、誕生を祝いました。

育てる子に・・・

「はだか人形に着物を縫い着付けをしましょう。」と遊びながら、和装を学びました。

長い時を、人々とお人形は様々な思いでつながりをもってきました。

production personサイト開設日

FUJIMURA Shiun
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on May 15,1998